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当公民館について

わが町の物語

伝説 「お銀小金」

 公民館の隣にある法然寺に伝わる物語で、雪深い北陸で、冬の夜長に語りつがれた「お銀小金の物語」は、血のつながらない姉妹同士の深い人間愛を描いている。
 加賀藩士の父が江戸詰めで留守の間、お銀は継母にいじめられ、ついに犀川の河原に掘られた深い穴につき落とされる。
 母が違うとは言え、お銀を慕っていた妹の小金は、お銀の居場所を探し当てるが、お銀は穴にあふれる川の水にのみ込まれていた。
 姉を慕う小金は、お銀の落ちた穴を探し出し、その死を知ると「わが子かわいと思えば他の子こそ大切に」と自らも穴に飛び込んで果て、地蔵菩薩になった。改心した継母は法然寺の仏門に入った。

現在は社のなかにあります。

伝承芸能 「川上皮獅子」

 安政年間(1854~59年)には市内各所に火災が起こり、時の消防川上の魁組が、火消しに活躍し火災を防衛した。
 本多家の家老はその壮挙を賞賛し、魁組に対し「望みにまかせ賞を与える」と言われた。そこで「本田家の庭内にあった桐の大木が欲しい」というとこれが許された。
 そこで摂津の国尼崎から来遊し、藩につかえていた彫刻の名人・沢阜忠平氏に依頼し獅子頭を作成した。
 その後祭礼に繰り出し、他町の獅子と出会うときは一歩も譲らず、けんかすること数度、頭(かしら)に傷を受けたために、なめし皮を使っておおったと伝えられている。

界隈風物史 「川上地蔵尊」

 川上地蔵尊は覚源寺の山門の脇に向かい合って立っていた一対の地蔵尊である。
 もういったいの地蔵尊は、北向かいの地蔵といい、北向きに立っていた。もとの成福寺が建っていた場所で、下手の道路に面し、犀川を流れてきたといわれる。二体の地蔵尊とともに祭られ、俗に川上地蔵尊と呼ばれている。
 三体の石製の立像で、三体とも赤色のベレー帽型の頭巾を付け、下部を黒でふちどりしている。三体とも前掛けタイプのよだれ掛けを着用、その年の当番町会が取り換える。
 この地蔵尊には、それぞれの幸徳がある。
・耳だれの信者は、カワラケを納め
・発声障害の信者は、穴の開いた石を納め
・歯痛の信者は、自分の使った箸を納めると治るといわれていた。

金沢最古の神社 「猿丸神社」

 金沢で最古の神社の一つで、境内は475坪で、参道は天保14年(1843)の石灯籠一対がある。
 猿丸神社といえば、のろいの願がけが行われていたことで有名である。
 草木も眠る丑三つ時に白装束で、身を包み藁人形を老木に五寸釘で、21日間打ち付けると呪いが叶うという丑の刻参りである。
 なぜ猿丸神社で行われるようになったのかというと、杉の大木があったからである。
 丑の刻参りは、杉の大木でなけらればならないこと、そして杉の大木というものは、どこでもないということである。
 その杉の木は老木となり、昭和49年7月に切られて、現在は根株の部分だけが残っている。